浄久寺鳥山牛助坐像

 

(じょうきゅうじとりやまうしのすけざぞう)

【美術・工芸】

浄久寺(喜多町)所蔵。像高 35.5cm、木造(檜か)一木造、内刳なし、彫眼、彩色。鳥山牛助精元は、元和3(1617)年に吉良の東条に生まれ、寛文6(1666)年に三河代官となりこの地域を治めた人物で、矢作川の治水や養蚕の奨励など地域の発展に尽力した人物とされる。その姿は、本像では頭髪は中央を剃り上げて後方で髷を結い、下着、小袖の上に肩衣、袴を着け、左手は脚上に置き、右手は閉じた扇子を執って、顔を正面に向けやや視線を落として安座する姿であらわされている。制作年代は江戸時代中期以降とみられ、作風や構造からみても熟練の仏師の手によるものではないと思われるが、地域に関わった人物の肖像が残されている点で意義のある作品といえる。本像は、当地の農民が奉納したという伝承がある。市指定文化財。


『新修豊田市史』関係箇所:21巻13ページ