性源寺本堂・山門

 

(しょうげんじほんどう・さんもん)

【建築】

広川町(高橋地区)。当寺の縁起によると、創立は明応4(1495)年当地の地頭岡野政温が江戸小石川の伝通院・寿経寺の智雲の弟子、玄誉天周を開山に招いたことに始まる。その後、歴代住職により、心学院、弧雲院、寂静院等の塔頭が建てられ、10世中興光誉松風が旧本堂を建設し、13世教誉祖碩が観音堂再建、14世中興教蓮社順誉が現在の本堂を再建した。現本堂は棟札写によれば、元文6(1741)年建立である。その他、境内には総門、山門(19世紀中頃)、鐘楼(18世紀後期)、観音堂(18世紀中頃)などが残される。本堂(写真)は、桁行5間(実長7間)、梁間5間半(実長6間半)、寄棟造、桟瓦葺、唐破風向拝付、南面建ちである。堂内は、前面1間の広縁では畳敷詰として棹縁天井とし、外陣では前面を柱間5間として中央間を背違いに高く差鴨居を渡し、この両脇の柱間2間では敷鴨居、内法長押を通し、現在内法上に小壁を入れている。外陣内部は凹字型の47畳の空間として棹縁天井を張る。脇の間は、前面では床高を上げるために框を通し、上部に柱間装置を設けず開放し、後方では柱間に虹梁を渡して位牌壇を設け、東脇の間背後に物置を設けている。内陣は、前面と両側面の柱間では床を高めるために上段框を通し、鴨居・内法長押を通し、前面では彫刻欄間を入れ、柱上に頭貫(端木鼻)、台輪(端花頭形)を通し、出組斗拱を置き、内法上部に極彩色を施している。内陣前面より二間半奥に来迎柱を立て、柱上に頭貫(端木鼻)・台輪(端花頭形)を通し、出組斗拱をおき、折上格天井を張っている。現在は、来迎柱奥の四本柱内に須弥檀を移し、その奥の両脇に脇仏壇を造っている。この建物は、内陣周囲を丸柱、虹梁、斗拱で荘厳し、外陣が凹字型の空間を形成しており、近世浄土宗本堂としての特徴をよく示した貴重な遺構である。山門は、三間一戸、楼門、入母屋造、桟瓦葺。この門は、近世後期の楼門であるが、伝統的な禅宗様式を遵守している。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻29ページ