(しょうぶかい)
【近代】
徴兵制度を地域社会が支える軍事後援組織として、明治10年代後半に徴兵慰労会が組織され始めた。しかし明治22(1889)年の徴兵令の大改正で、徴兵免役を認める条項がほぼ消滅し、国民皆兵主義の趣旨が徹底されたこともあって、現役兵の満期帰郷者を厚遇する徴兵慰労会の意義も薄れ、愛知県内の各郡の徴兵慰労会は活動を停止するようになった。他方朝鮮半島をめぐる日本と清国との対立が深まる中で、新たな軍事後援組織として尚武会が設立されることになった。東加茂郡では軍人慰労会が明治26年東加茂郡尚武会と改称し、郡民を会員とした。大正3(1914)年規則を改正して町村尚武会と称した。西加茂郡では明治27年1月、戦時動員令が発令された時の兵員徴集事務を円滑に進めるために、町村官吏を動員した召集事務演習を実施した。この事務演習の当日に西加茂郡尚武会の発会式も行われた。そして日清戦争が起ると、両郡の尚武会は戦病死した兵士への贈与金授与、従軍者家族への金銭援助や労力提供などに取り組み、有志からの義捐金がそうした活動を支えた。西加茂郡では明治31年1月尚武会規則を定め、軍隊の優待、軍人の慰労、召集事務の完備、尚武の精神の養成などを目的に掲げた。また軍人後援組織としては在郷軍人を会員とする軍人団体があり、東加茂郡では明治33年軍人会が創立され、明治42年在郷軍人団と改称、翌43年帝国在郷軍人会の設立によって、帝国軍人会東加茂郡連合分会と改称した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻212ページ、10巻201ページ