勝鬘寺

 

(しょうまんじ)

【古代・中世】

岡崎市針崎町に所在する真宗大谷派寺院。三河三か寺の一つとして知られ、三河一向一揆の重要拠点の一つとして著名である。史料上は「勝万寺」と記されることも多い。貞治3(1364)年成立の『三河念仏相承日記』から、建長8(1256)年、親鸞の弟子真仏・顕智らの三河布教の際、帰依し出家した信願(俗名袈裟太郎)が赤渋道場(後の勝鬘寺)を開いたことが知られる。三河和田門徒の中核として勢力を伸ばし、その門末は三河のみならず、北陸越前にまで及んだ。戦国時代には本願寺教団に参入した勝鬘寺は赤渋から針崎に移転し、その門末道場が三河・尾張の各地に建立された。市域では高村(後の光恩寺〈竹元町〉)、駒場(後の徳念寺〈駒場町〉)、太田(後の信光寺〈豊松町〉)、滝脇(後の専光寺〈滝脇町〉)、山路(後の芳友寺〈芳友町〉)などが見出される。江戸時代初期の『貞享四年末寺覚』(1687年)によれば、末寺総数76、うち市域19を数える。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻354・544ページ

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