『貞和五年年中祭礼記』

 

(じょうわごねんねんちゅうさいれいき)

【古代・中世】

巻子装1巻。猿投神社所蔵。延文6(1361)年に猿投社僧の覚祐が古老から聞き取った内容をまとめた記録(同書奥書)。冒頭に「半行御社」とあるのが猿投社のことである。貞和5(1349)年における同社の年中行事(祭礼・法要)の内容が詳しく記され、儀式の次第から神官・僧侶の出仕動向(存在形態)、饗膳・供料などの経済的実態も知ることができる。例えば、「元日拝殿出仕様」から別当をはじめとする神職の名と座配が図面入りでわかり、法華八講会の記載から、出仕する僧侶の人数や饗膳の内容を具体的にみることができる。同書からは、神殿・各社殿等どのような坊舎・堂宇があったかも見出せ、そのうち、神宮寺・八王子社・御輿宿が貞和5年に再建造営されたことが知られる。その際、神宮寺の由来も詳述され、さかのぼる平安時代の歴史を考える上でも重要な内容である。こうした年中行事記の作成はそのまま猿投社の隆盛を裏付ける史料でもあり貴重である。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻331ページ

→ 猿投社(猿投神社)白鳳寺

【典籍】

本書冒頭の内題は、一部破損するが、「(貞和五)己丑年半行御社一年中祭礼 (寺家)社家目録」とあり、記録書としての性格を示している。末尾の著者・覚祐の識語によれば、本書は、この「神祠」猿投社の勤行が数多くあり、その執行には何事につけて疑問が多く、社僧として40余年奉仕した神恩に酬いるため、社家の古老に尋ね、「多年の草本」を改めつつ、延文6(1361)年にその大概を記したものという。本文中に「裏書」を交え記すことがあり、元となった草稿に付された裏書注を含めて再編集されたことが察せられる。その中核となったのは、12年前の貞和5(1349)年にあった神宮寺本地堂の造営を中心とする社頭の整備が集中的に行われた際の行事記であった。本書は精細で、しかも多年にわたる祭礼行事記録の集大成であり、また貞和5年の記念すべき時点での、臨時祭を含む記憶の遺産(レガシィ)としての特色をあざやかに示す、ひろく全国の中世寺院記録中でもユニークな文献であるといえよう。県指定文化財。


『新修豊田市史』関係箇所:特別号71・115ページ

→ 猿投神社の聖教