(しょくじかいすう)
【民俗】〈食生活〉
かつての主食であった麦飯は腹持ちが悪く、また労働時間も早朝から暗くなるまでと長かったことから、特に農繁期には1日4、5回食事をした。1日4回食のことを東大林(下山地区)ではヨジキ、浅谷・牛地(旭地区)ではヨクラといっていた。葛沢(足助地区)の話者によれば、戦前までは1日5食だったという。夏、冬とも朝5時頃にアサメシ(朝飯)、一仕事して午前10時頃にチャノコを食べた。いずれも麦飯と味噌汁、漬け物くらいだった。ヒルメシ(昼飯)は午後1時頃で、麦飯、漬け物のほか、イモや大根、夏ならナスなど、季節の野菜を煮たりした。冬は3時半、夏は4時頃にバンヂャノコといって、ご飯を食べたり、コウセンを食べたりした。明るいうちは仕事をしたので、ヨウメシは夏なら7~8時頃になった。こういった1日4回、5回食は、食糧事情がよくなるにつれ次第に農繁期のみとなり、現在の1日3回食に固定化していった。〈食生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻296ページ、16巻290ページ