(しらとりしゃほんでん・せっしゃはちおうじぐう)
【建築】
有間町(旭地区)。白鳥社本殿は、棟札によって、安永4(1775)年の建立であることが知られる。大工は藤原当村・松井友七家平他である。本殿(写真)は桁行3間、梁間2間の身舎の正面に三間庇を付した比較的大型の三間社流造の社殿で、屋根は鉄板葺(もとは檜皮葺)である。軒は一軒吹寄せ垂木。身舎柱は面取角柱で、正面と側面の柱間には縁長押と内法長押を通し、四周の柱間には頭貫を廻らし、端に木鼻を出す。正背面の柱上では出三斗を載せ、側面中央の柱上に拳鼻付の平三斗を載せる。中備は用いない。正面の各柱間には敷居と鴨居を通し、方立・小脇羽目を組んで両開き板唐戸を吊る。また、向かって左側面の前端間では、中央に方立を立て、片開き板唐戸を吊って戸口としている。その他の柱間は横板壁とする。妻飾は虹梁上に角束を立て、束上に大斗実肘木を置いて化粧棟木を受ける。身舎の正側三方では、切目縁を廻らし、側面の縁後端に脇障子を立てる。縁正面には1間幅の木階7級を付す。庇柱は面取角柱で、柱間に頭貫虹梁を渡して、端に木鼻を出す。柱上では出三斗を載せ、中央間のみ中備に蟇股を配す。斗栱の背面には中2本に手挟を入れ、両端では身舎柱との間に海老虹梁を架ける。この本殿は、身舎もすべて角柱とし、円柱を用いず、縁・階段にも高欄を設けず、妻飾も角束とするなど、扱いは比較的簡素である。摂社八王子宮は、棟札によって天保11(1840)年の建立であることが分かる。一間社流造の社殿で、軒は一軒吹寄せ垂木、屋根は現在銅板葺(もとは檜皮葺)である。身舎・庇とも柱は面取角柱で、地覆上に立つ。庇の正側三方に縁長押を廻らし、身舎との間に縁を設ける見世棚造の形式をとる。庇の柱間には頭貫虹梁を渡し、端に木鼻を出す。柱上では出三斗を載せ、中備に蟇股を配す。また、斗栱背面には手挟を入れる。身舎の柱間には四周に腰長押と頭貫を廻らし、頭貫端に木鼻を出す。正側三面には内法長押を通し、正面では敷居と鴨居を入れて、両開き板唐戸を吊る。側背面の柱間は横板壁とする。柱上では出三斗を載せ、正面のみ中備に実肘木付の撥束を配す。妻飾は斗栱上の妻虹梁に角束を立てて、束上に大斗実肘木を置いて化粧棟木を受ける。破風の拝みに蕪懸魚を吊る。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻248ページ