(じんばつぎたて)
【近世】
江戸時代の伝馬制度における宿継ぎのことで、宿場が利用者の人・荷物の輸送に供する人馬を整えて、次の宿場まで送り継ぐことである。五街道の宿駅の主要な役割で、公用利用は伝馬役といい、人馬の常置数が定められていた。伊那街道等の脇街道やその他の街道はそれに準じて宿場にも人馬が置かれ、宿継ぎがなされていた。市域での継立の事例は武節町(稲橋村)・明川・足助にみられる。伊那街道における継立は近世初期から行われていて、慶安3(1650)年7月に武節町の付け通しの馬荷物を差し止める事件が起きていることから確認できる。継立の維持は宿場と近隣村が負担していて、助馬や人足あるいは金銭の負担が課せられた。他の場所の継ぎ立て、費用負担などで争論となった件もある。人馬は公用以外にも利用され、賃銭の分類では朱印・証文、御定賃銭、相対賃銭に分けられ、私用の場合は相対賃銭で支払われたが、これは御定賃銭の2倍の相場であった。御定賃銭は高札に掲げられ、物価上昇に応じて割増賃銭が幕府の命で行われた。人馬の用意は宿場に設置された「継問屋」が行っていた。伊那街道の武節町村では、文政11(1828)年に商荷物継問屋株を取り定めた規定書が作成され、継問屋以外の継引きの禁止や継問屋の荷物売買の禁止、継問屋が扱う諸荷物、庭銭、継問屋株助成金の割合などが決められた。人馬継立の負担は年々増加していたため、武節町村では継問屋を1軒増設し、明治4(1871)年には5軒に増大した。幕末にほかの街道上では宿場ではない村々から新たな継問屋設置の願いが出されている。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻418ページ