神明宮本殿・熊野神社本殿・牛頭天王社本殿(綾渡町)

 

(しんめいぐうほんでん・くまのじんじゃほんでん・ごずてんのうしゃほんでん)

【建築】

綾渡町(足助地区)。神明宮本殿(写真右)は、棟札によって文化4(1807)年再建の建物で、大工は当村住人藤澤彦治郎藤原好建、下小田村鈴木要蔵であることが知られる。本殿は、桁行1間、梁間1間、入込み付の一間社流造の建物で、屋根は板葺とし、棟の両端に置千木を配し、内に堅魚木3本を置く。軒は正面二軒、背面一軒の繁垂木で、破風の拝みに蕪懸魚を吊る。身舎の柱は粽付の円柱で、土台上に立て、柱間には縁長押・頭貫を通し、頭貫端に木鼻を出す。内法長押は側背面に通し、正面では枕捌きに納めて内方に廻らす。柱上には大斗花肘木を置き、正側面の中備に蟇股を配す。妻飾は虹梁大瓶束・笈形付で、束上に大斗実肘木を載せ化粧棟木を受ける。身舎の側背面は横板壁とし、正面は敷居と頭貫間を開放して入込みを設け、この奥1尺ほどの位置に内陣の戸口を設ける。内陣正面は、両端に角柱を立て、柱間に縁長押・敷居・鴨居・内法長押を通し、方立・小脇羽目を組んで両開き板唐戸を吊る。入込み部分は長押一段床を高くし、天井は板天井とする。身舎の正側三方には刎高欄付の縁を廻らし、側面の縁後端に脇障子を設ける。正面には擬宝珠柱を立て、登高欄付の木階5級を付す。庇の柱は粽付の几帳面取角柱で、柱間に頭貫虹梁を渡し、端に木鼻を出す。柱上では大斗花肘木を載せ、中備に蟇股を配す。また、斗栱の背面には手挟を入れる。熊野神社本殿(写真左)は、神明宮の西側に位置し、建立年代は神明宮と同じ記載内容の棟札があって文化4年に同じ大工によって再建されたことが知られる。本殿は桁行1間、梁間1間、入込み付の一間社流造で、柱間の寸法も構造形式もほぼ神明宮本殿と一致する。神明宮と異なる点は、棟上に千木・堅魚木を置かず、身舎と庇の柱上の斗栱を出三斗とし、庇の出三斗は端部を連三斗として背面に海老虹梁を入れて身舎柱と繋ぐ。また、内陣正面の柱間には、中央に角柱を立てて左右に2分し、各柱間に小脇羽目を入れて両開き板唐戸を吊る。牛頭天王社本殿は、西端に位置する小規模な社殿で、建立年代は棟札によって文化7年であることが知られる。大工は当邑住人藤澤彦治郎好建とあって、神明宮・熊野神社の両本殿と同じである。桁行1間、梁間1間の一間社で、屋根は垂木のない板葺の折屋根とする。身舎の柱は角柱で、柱間に縁長押と内法長押を廻らし、柱上に直接桁と梁を置く。側面と背面は横板壁とし、内法上も板小壁とする。正面の柱間には敷居と鴨居を入れ、方立と小脇羽目を組んで両開き板唐戸を吊る。身舎の正側三方には布目縁を配し、側面の縁後端に脇障子を設ける。また、縁正面には木階4級を付す。庇柱は粽付の角柱で、柱間に頭貫虹梁を渡し、端に木鼻を出す。柱上では大斗花肘木を置き、背面に手挟を入れ、中備に蟇股を配す。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻239ページ