(しんめいぐうほんでん・はいでん)
【建築】
今町(挙母地区)。天文12(1543)年に細川(岡崎市細川町)の松明院4世泉誉の弟子三誉縁徴が常行院を創立し、その鎮守社として勧請されたと伝える。寛延3(1750)年棟札により、社僧常行院6世恵玉が当地に境内地を移し、現本殿(写真)は、この時に再興されたものと考えられる。本殿は二間社流造で、屋根は檜皮葺、軒は二軒繁垂木で、破風の拝みと降り、庇の桁隠しに蕪懸魚を吊る。屋根には銅板製の箱棟を置き、両端に鬼板を置く。身舎の正側三面には刎高欄付の縁を設け、両側面の縁の後端に脇障子を設ける。縁正面には擬宝珠柱を立て、登高欄付の木階5級を造る。身舎柱は円柱で、柱間を縁長押・内法長押・頭貫で固め、頭貫端に木鼻を出し、柱上に出三斗を載せる。なお、内法長押は正面の3本の柱位置で、枕捌きに納めて内方に廻し込み、正面2間は開放し、その奥に戸口を設ける。戸口は半円柱・円柱を立て縁長押・内法長押・頭貫を通し、方立・小脇羽目を組み両開き板唐扉を吊る。妻飾は虹梁大瓶束・笈形付で、束上に出三斗を載せ、花肘木を入れて化粧棟木を受ける。前庇は一間とし、庇柱を几帳面取角柱とし、柱間に頭貫虹梁を入れ、頭貫端に木鼻を出す。柱上では連三斗を載せ、中備に出三斗を入れる。庇柱と身舎柱との間には海老虹梁を渡す。正面を二間として左右に神明社と八王子社を祀る二間社の本殿形式は珍しい。拝殿は安政4(1857)年の再建で、桁行3間、梁間2間、入母屋造、桟瓦葺、平入の建物である。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻204ページ