(しんりゅうじほんどう・さんもん)
【建築】
朝日ケ丘(挙母地区)。寺は、曹洞宗、山号を得雲山、本尊を釈迦牟尼仏とする。創立は不詳であるが、元禄年間(1688~1704)に了雲竜察が霊岩寺12世高山自隠を勧請して再中興とされた。4世愚耕定慧は境内を整備して享保6(1721)年に梵鐘を鋳造し、明和2(1765)年に水害により竜子山に移り、安永10(1781)年現地に移転して現本堂(写真)を建立した。山門は建築様式から幕末以降のものである。本堂は、桁行5間、梁間5間、寄棟造、桟瓦葺、一間向拝付、南面建ち。間取りは、前面に広縁を通し、奥に前後2列、横3室の方丈形式とする。向拝は、礎盤に几帳面取柱を立て、柱上に虹梁を渡し、柱頂に連三斗を置き、主屋と海老虹梁で繋ぐ。軒は一軒疎垂木。堂正面は中央柱間に差し鴨居を渡し、その両脇では中敷居・差鴨居を通して引違い窓とし、内法上を小壁とする。堂内は、現在広縁では畳敷詰めとし、格天井を張り、大間では柱間1間とし、内法を高く虹梁を渡し、他の柱間には敷鴨居、内法長押を通す。大間と上・下の間境では、内法上に菱格子欄間を入れ、上・下の間では10畳とし、上の間外では戸口として濡縁を通し、下の間外では中敷居の窓として濡縁を通す。上奥・下奥の間はいずれも10畳とし、上奥の間では位牌壇、下奥の間では奥行一間の位牌壇を造る。内陣は、前面に2本の丸柱(露柱)を立て、柱間3間に虹梁を渡し、上部に欄間を入れる。内陣中央後方では来迎柱を立て、須弥檀を設け、頭貫虹梁を渡し、柱頂に出三ツ斗を載せる。内陣背面では後門を開け、奥に位牌堂・開山堂を設けている。曹洞宗本堂として小規模ながら宗門の特徴をよく備えている。山門は、間口1間、奥行2間、入母屋造、桟瓦葺の鐘楼門である。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻141ページ