隨應院渡辺家墓所

 

(ずいおういんわたなべけぼしょ)

【考古】

高橋地区寺部町の浄土宗極楽山隨應院不遠寺にある渡辺家初代から3代当主の奥方および関係一族の墓所。渡辺家は江戸時代に寺部村に陣屋を構えて当地方を治めた尾張藩の重臣で、墓所(南北22.5m・東西13.5m)は本堂の北西に位置している。奥方の墓塔は、いずれも塔身が270cmを超える花崗岩製の三角頭平石塔で、一対の石燈籠を具備している。関係一族の墓塔には、三角頭平石塔のほかに笠付方平石塔もみられる。なお4代当主以降の奥方は近隣の守綱寺渡辺家墓所を葬地とした。昭和51(1976)年3月に市指定史跡となった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻147ページ、20巻306ページ

→ 守綱寺渡辺家墓所大名家墓所