(すいはん)
【民俗】〈食生活〉
大麦・裸麦は米よりも硬く、そのまま米と一緒に炊くことができない。戦前から昭和20年代まではエマシ麦といい、前夜のうちに麦を茹で、翌朝米と一緒に炊いた。茹でた麦はイカキに上げておくか、水に浸けておいた。冬ならば3日分ほどまとめて茹でられたが、傷みやすい夏は毎晩茹でる必要があった。麦飯は粘りが強く、オコゲができやすかったという。こうした手間は、米と一緒に炊ける押し麦の登場で一気に解決した。麦飯は朝、1日分を炊いた。「はじめチョロチョロ 中パッパ 赤子泣いても蓋取るな」という言い回しは、市域でも多く聞かれた。水加減は手を入れてはかった。芯のあるご飯になった時は、酒をふる、蒸し器で蒸し直す、雑炊にする、といった方法が聞かれた。炊き上がると麦は上の方に浮いてくるので、下の方の米が多いところを弁当に詰めたり、オブクサン(仏供飯)にした。炊けた飯はオハチ(飯櫃)に移し、冬は藁櫃に入れて保温した。〈食生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻308ページ、16巻299ページ