(すいぼうきそく)
【近代】
風雨により河川に出水が予想されるとき、流域の町村に水防人足の出動や受け持ち地区、水防器械・備品の用意を命じた規則。愛知県では明治6(1873)年矢作川筋の水防規則を通達し、出水の際の人足の派出を規定した。加茂郡梅ケ坪村・越戸村ではこれを受けて、水防器具の保管場所の設置を届け出た。流域各村には水防懸りが設けられ、また流域各村が協力して水防に当たるための協議も行われていた。明治25年4月には挙母町は水防規則を定め、全町民の参加を義務付けた水防組織を作った。水防人足の受持地区、出動の合図、松明・土俵つちだわらなどの保管、人足への賞与などを詳しく規定した。挙母町では大正3(1914)年6月にも水防組規則を策定し、矢作川と籠川の水害を防禦するための水防組を設立した。町を20区に分け、水防長-水防区長の指揮の下に、区域内の耕地反別金と住民の負担金および町費で運営される自治的水防体制を確立した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻280ページ、12巻394・826ページ