菅沼作右衛門 

 

(すがぬまさくえもん)

【近世】

九久平村(松平地区)に陣屋を有する旗本鈴木市兵衛家の現地代官や用人(家老)を勤めた菅沼氏の通り名。9代目(文化13〈1816〉年死去)が55年間にわたる勤務を評価され、文化5年に家老となり、先祖の旧地である九久平村内の「菅沼組」と呼ばれる地に知行50石を与えられた。陣屋役人には菅沼姓が多く、同家はその本家筋と推定される。陣屋にあってはほかの陣屋役人を指揮して桂野村など知行所5か村の支配の先頭に立ち、江戸旗本屋敷にあっては陣屋役人と頻繁に書状でやり取りして、江戸と地元の情報、諸情勢について連絡を取り合った。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻67ページ