(すがぬまさしば(がどう))
【近世】
九久平村(松平地区)に陣屋を有する旗本鈴木市兵衛家の現地代官を勤めた菅沼氏一族の一人。父弥平治とともに天保7(1836)年の加茂一揆後の対応と、知行所村々での秩序回復に努めた。筆頭代官として鈴木家の家政改革にも取り組んでいたが、天保12年、知行所百姓の訴えにより、財政運営上の疑惑をかけられ、責任を取って退役願いを出し、結果として次席代官に降格のうえ、勤務を控えることとなった。しかし、その後、弘化2(1845)年には領内統制の26か条の触書が出され、その中で同家はその由緒と格式が確認されて、翌年彦右衛門(左司馬から改名)は代官の職務に復帰し、明治維新までその職にあった。なお、この復帰には村方の同意が求められており、陣屋役人を変更するにもこうした対応が必要となっていたことから、家政改革に対する村方の関与を通じて、旗本としての領主権が大きく制約されるようになっていたことが確認できる。鶴田卓池と親しい俳人でもあり、卓池編の歳旦集『すきぞめ集』にその名がみえる。また、狂歌も好んだ。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻71ページ