(すぎたけ)
【近世】
慶長2(1597)年に三社大明神を勧請し、松名村(小原地区)の人々を氏子として従えたという由緒をもつ有力な旧家。杉田家は地域の人々や寺院から借用証文の提出をうけ、必要な資金の貸し付けを行っていた。例えば、瀬戸物を商っている業者に商売の資金を貸し付け、瀬戸物を質物にとっている事例、村の高札場の建て替えという村の必要経費を貸し付けている事例、複数人で資金を出し合う講を主催している事例などがある。一方、子どもが成長したのちに奉公することで借金を返済する、という村人の借金証文に、庄屋として連判する役割も担っている。必ずしも杉田家が当事者ではないとみられるが、市場村(小原地区)廣圓寺をめぐる離檀争論、星の宮祭礼をめぐる争論など、地域社会の特徴ある動向を示す史料も残されている。突出した豪農として特に著名というわけでもないが、地域社会の一般的な名望家層の特徴をよく示す史料群をのこしており、貴重な事例である。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻459・671・676ページ