杉本家

 

(すぎもとけ)

【近世】

近世挙母竹生町の商人。杉本家は木綿商人で、挙母藩・西大平藩の蔵米や蔵麦なども扱い、挙母藩の御用達商人でもあった。杉本彦兵衛は、足助の小出家と深い関係を有していた。同家は、西大平藩の蔵米を小出家へ売却し、溜を小出家から購入するなどの商業関係を有したほか、小出家の仲介で矢作川河口の市川新田に出資している。両家は親類ないしは血縁関係もあり、同家から小出家へ経済や政治情報を伝達している。また、両家には、相撲興行に同道するなど文化的な交流もみられた。杉本彦兵衛は、囲碁の見立番付に名前が載り、『狂歌三河名所図会』に狂歌が掲載され、号敬嘉と名乗る歌人であるなど、文化人としても活動していた。杉本彦兵衛は、俳人板倉塞馬で知られる足助の池田屋板倉家の親類でもあった。同家は、居屋敷・土蔵5棟・長屋1軒・別所1軒などを所持し、天保の飢饉や天保6(1835)年の城下の火災時に施行を行うなどの大家であったが、やがて経営が悪化し、嘉永4(1851)年に小出家から借用した200両の返済が滞るようになり、挙母藩の御用達を休役するようになった。やがて木綿商も休業し、明治元(1868)年 12月に、同家は屋敷地を挙母南町の吉田喜兵衛に譲渡している。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻348・485・646・724ページ