須藤しげる  1898~1946

 

(すどうしげる)

【近代】

挿絵画家、本名須藤源重(げんじゅう)。明治31(1898)年9月17日西加茂郡挙母町で生まれる。挙母第一尋常小学校(現挙母小学校)、次いで挙母第一高等小学校(現童子山小学校)卒業後、画家を志して上京。旧挙母藩士岸田吟香の子・岸田劉生より油絵を習う。大正5(1916)年頃より日本画の中村岳陵に師事、日本画を描きながら生活のため挿絵を描く。『少女倶楽部』『少女の友』『少年倶楽部』『婦人画報』といった雑誌で活躍。蕗谷虹児、加藤まさをらと並び、大正末期から戦前にかけて流行した抒情画の人気画家の一人となる。抒情画は、物語の内容を説明する挿絵と違い、画家の感情や人生観、自然観を表現した画をいう。当時の人気作家であった加藤武雄『君よ知るや南の国』(写真)、吉屋信子『あの道この道』等の単行本の表紙デザインや挿絵も手掛けた。昭和18(1943)年第6回文部省美術展覧会(日展の前身)に「雪國の娘たち」が入賞、日本画も認められた。また挙母周辺を描いたとされる油彩画「かご川風景」(母校に寄贈)「川」「土橋(どばし)」、挙母ゆかりの人物の肖像画は、須藤家から寄贈された作品群とともに、豊田市が所蔵している。昭和21年2月3日晩年を過ごした神奈川県茅ケ崎市で没した。


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