生活改善(食生活)

 

(せいかつかいぜん(しょくせいかつ))

【民俗】〈食生活〉

食生活における生活改善は、栄養状態向上を主目的とし、栄養知識の普及や洋食などの新しい料理方法の啓蒙を中心に進められた。戦後、愛知県教育委員会は、昭和24(1949)年発行の『教育要覧』で「学校給食」の項目を立て、給食の充実と栄養知識の教育について注力すべきとしている。昭和29年には農林省改良局生活改善課が『図説農家の生活改善』という主婦向けの生活改善についてのガイドブックを編集・発行しており、こうした食生活改善に向けた政策が、食生活の変化を後押ししたことは確かであろう。市域における食生活に関連した生活改善の動きについて、聞き書きでは料理教室が大きな役割を果たしたことがわかる。畝部東(上郷地区)の大正末生まれのある女性は、生活改善運動の一環として開かれた料理教室に通ったことがあるといい、そこでカレーライスやマヨネーズの作り方などを習ったという。昭和33年に結婚した寺部(高橋地区)の女性も、婦人会の料理教室で洋食の作り方を覚えたという。また「万能鍋」の販売促進のため、使い方の講習会として料理教室が開かれることもあった。こうした背景のもと、当時の若い主婦たちは新しい料理に関心を持ち、料理本やテレビの料理番組、新聞の家庭欄に掲載されたレシピなどをみて洋食を家庭料理にしていった。家庭における食生活の変化には、調理環境の変化も伴っていた。生活改善運動には台所改善運動が含まれ、強く推進された。市域農村部では昭和30年代はまだクド(竈)を使っていた家が多く、山間部では昭和40年代でも使われていた。その後、灯油コンロを導入したという家もあったが、直接プロパンガスに移行したという地区や家も多かったようである。クドが必要なくなると、炊事場が土間から床を張った台所になっていった。ガステーブルと水道、流し台が導入され、昭和30年代から40年代に、現代のシステムキッチンの形が出来上がっていった。〈食生活〉

『新修豊田市史』関係箇所:17巻499ページ