青年学校

 

(せいねんがっこう)

【近代】

実業補習学校と青年訓練所を統合して創設された勤労青年を対象とした教育機関。昭和10(1935)年の青年学校令により「男女青年ニ対シ其ノ心身ヲ鍛錬シ徳性ヲ涵養スルト共ニ職業及実際生活ニ須要ナル知識技能ヲ授ケ以テ国民タルノ資質ヲ向上セシムルヲ目的トス」と定められた。挙母町では、青年学校令に先んじて昭和9年に挙母農業公民学校・挙母裁縫補習学校・挙母商業専修学校を統合した愛知県挙母青年学校が開設された(写真:年代未詳)。青年学校令公布後は、挙母青年訓練所を統合して挙母町立挙母青年学校と改称した。昭和14年から男子青年学校の義務制が実施され、12歳から19歳の勤労男子は青年学校への就学が義務付けられた。義務化に伴い、猿投村や石野村では独立校舎を建設して小学校に併設していた青年学校を独立させた。また、青年学校義務制実施と同時期に公布された「工場事業場技能者養成令」が工場等に技能者養成施設の設置を義務付けたことにより、工場等では青年学校と技能者養成施設を併存しなければならなくなった。このため、トヨタ自動車工業株式会社では、昭和13年開設の私立豊田工科青年学校に技能者養成課程を位置付けた。さらに昭和15年には、西加茂郡挙母町保証責任加茂繭糸販売組合連合会の工場に勤務する女子従業員を対象とする私立加茂繭糸女子青年学校が開校した。


『新修豊田市史』関係箇所:4巻537・649ページ