赤色顔料

 

(せきしょくがんりょう)

【考古】

日本における赤色顔料は、古来より水銀朱(硫化第二水銀、HgS)とベンガラ(酸化第二鉄、Fe2O3)、丹(四酸化三鉛Pb2O4)が知られる。丹は古代以降に大陸から伝えられたものである。縄文時代後期には土器や漆器・木製品の一部が赤く塗られたものが現れ、弥生時代になるとパレス・スタイル土器と呼ばれる器面を赤く彩った土器が作られた。百々町の岩長遺跡では竪穴建物内に貯蔵されたベンガラ塊、鴛鴨町の川原遺跡では顔料を磨り潰した磨石やその容器、顔料が付着した石器が出土しており、赤色顔料が集落の中で保存、精製されていたことがうかがわれる。全国的に見ても弥生時代から墓に使われた例が知られ、古墳時代にも引き継がれた。上郷地区の三味線塚古墳では粘土槨から出土し、挙母地区の豊田大塚古墳他では石室の壁にベンガラが塗られていた。また、高橋地区の百々古墳出土鏡や神明社古墳の管玉などの副葬品にも付着した事例があり、顔料が石室内部に散布されたと考えられている。猿投地区の青木原2号墳の人物埴輪のように、赤く彩色された事例もある。

『新修豊田市史』関係箇所:1巻118・225・324・343ページ、19巻118・288・504・560・564・734ページ 

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