瀬戸層群矢田川累層

 

(せとそうぐんやだがわるいそう)

【自然】

名古屋東部丘陵や猿投山南東麓の丘陵をつくっている地層。猿投山の西麓から名古屋市の東部まで広がる丘陵(名古屋東部丘陵)や猿投山南東麓の丘陵は、砂礫層、砂層、やや締まった(固結した)泥層が不規則に重なり、その間に火山灰(ミガキ砂)層や真っ黒な亜炭層をはさむ地層群から構成されている。これが矢田川累層である。全体の厚さは200m前後以下で、河川や沼沢地に堆積した地層である。その時代は、400~200万年前(新生代新第三紀鮮新世後期~第四紀更新世初期)である。東濃地方ではほとんど砂礫からなり、土岐砂礫層と呼ばれる。矢田川累層や土岐砂礫層は、かつて伊勢湾を取り巻く地域に広がっていた、東海湖と呼ばれる大きな堆積盆地(地層が堆積する凹地、500 ~ 80 万年前)に堆積した地層群(東海層群)の一部である。矢田川累層や土岐砂礫層にはさまれる亜炭層やミガキ砂層は、1960 年代まで採掘されていた場所もある。その後、採掘の廃業に伴い、埋め戻されなかった坑道跡が地下空洞(古洞=ふるどう)として残され、各所で陥没や地盤沈下を起こした。現在でも、宅地開発などの際に、古洞が陥没する事例が時々発生している。なお、この地域で丘陵をつくる地層は、矢田川累層のほかに二つあり、そのひとつが矢田川累層の下位にある瀬戸陶土層である。瀬戸陶土層と矢田川累層を合わせて、瀬戸層群と呼ばれる。瀬戸陶土層は細粒な砂や粘土から成るのに対し、矢田川累層は礫も含む粗粒な地層を主とし、堆積した環境が違うばかりでなく、堆積した時代も著しく異なっている。もうひとつは、矢田川累層や瀬戸陶土層より古く、日本が、日本海拡大前のユーラシア大陸東縁部であった頃に堆積した海成(海底に堆積)の地層(品野層)である。それらは、広幡町、田茂平町、御作町などの狭い範囲に露出している。かつてはこの地域を広く覆っていたのであろうが、日本海の拡大以降、ほとんど侵食されてしまい、ごく一部が削られずに残ったものである。

『新修豊田市史』関係箇所:23巻16ページ

→ 猿投山瀬戸陶土層東海層群