(ぜんあ)
【古代・中世】
南北朝期の高橋荘で猿投社の造営工事の責任者を務めた人物。高橋荘のうち矢作川の東岸側にある東方の矢並郷(矢並町)に拠点をもち、平内大夫入道と呼ばれた。康永4(1345)年、中条秀長は猿投主の神宮寺の造営をはじめるにあたって、善阿をその工事の責任者に任命した。猿投社の記録は秀長を「地主」と記し、善阿を「地代」とする。秀長の代官の意味であろう。当時、秀長は京都にいたため、善阿は京都まで赴き、秀長から工事に必要な用木を荘内で伐り出す許可を得ている。大夫入道とされるのが五位の位を得ていたためであるとすれば、善阿は秀長の下で京都を訪れる機会が幾度もあり、その推挙で位階を与えられた可能性もある。そうであれば秀長の有力な被官の一人といえよう。なお、永和4(1378)年に「新百姓」として荘内で作人の権利を拡大しようとした平内入道が一族であったとすれば、善阿も有力な農民としての立場を持つ土豪的な存在であったと思われる。なお、善阿を後世の鈴木氏の祖とする見方もあるが、彼と鈴木氏を結びつける直接の証拠はない。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻314ページ