千足役所

 

(せんぞくやくしょ)

【近世】

旗本大給松平家が知行所支配のために千足村(挙母地区)においた役所。万治2(1659)年に松平乗秀が本地役所の兄乗延より千足・北莇生・南莇生村のうちから300石を分与され、役所をおいた。千足村はこの時に本地村より分村するが、郷帳には記載されていない。その後、3代乗尹の時に上総国で300石加増となった。なお、挙母中町の商人高崎家は千足役所の蔵米や麦を取り扱っていた。松平家は乗尹以後知行所を変えることなく4代続き、明治維新を迎え、知行所は重原藩領となった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻50・344ページ

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