千田役所 

 

(せんだやくしょ)

【近世】

旗本日向家が知行所支配のために千田村(足助地区)においた役所。日向家は、もとは甲斐国(山梨県)の武田氏に仕えていた家で、武田氏が没落後、徳川家康に仕えた。安永7(1778)年の正房の代に、駿河国富士郡にあった知行所の一部が千田・川端・山ノ中立(いずれも足助地区)・笹原・八草村(ともに保見地区)の5か村に知行替えとなり、役所をおいた。日向家は正房以後知行所を変えることなく5代続き、明治維新を迎え、三河国の知行所は伊那県管轄となった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻50ページ