千宗室(玄々斎)  1810~1877

 

(せんのそうしつ(げんげんさい))

【近世】

裏千家11代。三河国奥殿藩主松平乗友の子。出生後は兄(渡辺規綱)の養子先である寺部領主の尾張藩重臣渡辺半蔵家で養育され、兄の松平乗羨が10代千宗室認得斎と親しかったこともあり、文政2(1819)年に千家の養子となった。玄々斎は、利休250回忌を家元として執行し、伊予国松山藩・加賀藩・尾張藩の茶事奉行として活躍した。渡辺規綱とは茶道を通じても親しく交流し、茶道具の制作や茶室の建設にあたっては規綱に助言している。明治5(1872)年には、「茶道の源意」を明治政府に提出して茶道師範の鑑札制度を改めさせたり、京都で開催される内国博覧会で外国人を想定して椅子を使用して抹茶を点てる「立礼」を考案したりするなど、茶道界の発展に貢献した。


『新修豊田市史』関係箇所:3巻590ページ

→ 渡辺規綱