(そうしき)
【民俗】〈人の一生〉
告別式が導入される以前の葬式は、会葬者が喪家でオヒジを食べた後、読経・焼香を行い、出棺して葬列を組んで墓や焼き場に行き、葬具を並べてあらためて弔いをするものであった。墓や焼き場での葬式を御蔵(足助地区)ではノショウコウ、駒場(高岡地区)ではノトムライといい、棺を安置する石の台があった。墓や焼き場での弔いは次第に簡略となり、儀礼の中心は喪家に移った。牛地(旭地区)では埋葬時に墓穴の周りを左に3回まわるアナマワリを喪家のカド先で行うようになり、八幡(旭地区)や東郷(小原地区)ではこれをカドマワリと称している。喪家が葬式の中心となると祭壇が必要となり、葬具屋に借りたほか、寺部(高橋地区)のようにムラで共同購入し、祭壇係が管理したところもある。葬式は喪家の格に合わせて行うことが求められ、葛沢(足助地区)では僧侶1人の六役、僧侶6人の出世六役、盛大な葬式の三仏事という3種類があった。〈人の一生〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻651ページ、16巻597ページ