(そねいせき)
【考古】
高橋地区の森町1丁目に所在し、愛知県内で初めて縄文時代中期後半の埋甕が発見された遺跡である。矢作川中流左岸の下位段丘面(越戸面)上の標高42mの地点に立地している。遺跡は昭和47(1972)年の高橋中部地区ほ場整備事業の際に発見され、同年11・12月に市教育委員会により発掘調査が行われた。縄文時代中期後半(神明式)の竪穴建物跡2基(SB01・02)、晩期前半(雷Ⅱ式)の竪穴建物跡1 基(SB03)が見つかっている。SB01と02 は切り合い関係にあり、SB01 の東側一部を切ってSB02 が構築されている。SB01内で検出された埋甕ではほぼ完形の深鉢が立位の状態で据えられており、県内初の埋甕事例となった。SB01 の炉跡は、平成18(2006)年の調査の際に石の抜き去り痕が確認され、この時期に特有の方形石囲炉であることが明らかにされた。炉縁石はみられなかったが、SB02 内にも同様の炉跡があったと考えられている。SB02 の入り口にあたる東側周溝上から石皿と磨石が、また奥壁にあたる西側周溝上から自然石を利用した大型石棒が出土し、注目された。SB03 では、地床炉と考えられる焼土範囲と13基の浅いピットが確認されており、建物跡の内外から土製耳飾片が出土している。こうした調査成果を受けて、遺跡は昭和50年に市史跡に指定され、現在は保護材で被覆した竪穴建物跡と1 棟の復元住居からなる曽根遺跡公園として活用されている。また出土遺物のうち、中期後半の竪穴建物跡(SB01・02)から出土し完形に復元された土器4点(写真)と、石皿・磨石・大型石棒・磨製石斧各1点は史跡指定と同時に市指定文化財考古資料となった。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻70・111・124・129ページ、18巻72ページ