当麻曼荼羅

 

(たいままんだら)

【美術・工芸】

阿弥陀信仰において特に重要視された浄土三部経の一つ『観無量寿経』に基づいて阿弥陀浄土を描いた観経変相図の一種で、奈良県・當麻寺に伝わる原本およびその転写作品を当麻曼荼羅と呼ぶ。同種の観経変相図は唐時代の中国でさまざまなバリエーションが作られたが、日本では法然門下の証空が著した『当麻曼荼羅註記』により再評価されて以降、この当麻曼荼羅が特に重要視された。証空は当麻曼荼羅が正確には『観無量寿経』ではなく善導によるその注釈書『観無量寿経疏』に基づいて構想されたものであることを明らかにした。以後主に浄土宗により多数の転写本が制作されたが、原本が4m四方の巨大な画面であるため転写が原寸でなされることはまれで、4分の1、6分の1、8分の1、16分の1など縮小されることが一般的である。当麻曼荼羅の画面構成は、阿弥陀浄土の全体像を描く中央の大きな区画(玄義分)を中心に、画面左端に摩訶陀国王妃の韋提希(いだいけ)夫人が阿弥陀浄土を観想するに至るいきさつを描いた縦の帯状区画(序分義)、画面右端に釈迦が韋提希夫人に説く阿弥陀浄土をイメージする13の手順(十三観法)を描いた縦の帯状区画(定善義)、画面下端に阿弥陀浄土への往生の9種のランク(九品往生)を描いた横の帯状の区画(散善義)が3辺を取り囲む。玄義分は夫である頻婆娑羅王を幽閉し王位簒奪した我が子・阿闍世王がついには自分をも殺そうとしたことに絶望した韋提希夫人に浄土の観想法を釈迦が指南するまでのエピソードをおおむね下から上へと11場面に区分して描いたもので、『観無量寿経』全体の序をなす。定善義は日没時の太陽を観想すること(日想観)に始まる、釈迦が韋提希夫人に説いた阿弥陀浄土の諸特徴を順次イメージする13手順を上から下へと順次描くもので、各場面にはそのイメージ対象を見つめる韋提希夫人の姿が添えられる。この手順を踏まえてイメージされるのが、玄義分に描かれる阿弥陀浄土の姿である。散善義は往生者の資質に応じてランク分けされる来迎の9様態を最上位(上品上生)から最下位(下品下生)まで右から左へと9区分並列して描くもので、9様態は大きく3区分(上品・中品・下品)され、それぞれがさらに3区分(上生・中生・下生)される。また当麻曼荼羅には、藤原豊成の娘である中将姫が阿弥陀如来の助力を得て蓮糸で織りあげたとする、鎌倉時代以降に流通した伝説がある。市域に伝存する近世以前の作例としては、寛政5(1793)年以前に制作された徳念寺本、享和4(1804)年制作の春光院本、天保9(1838)年制作の常行院本、万延2(1861)年制作の光明寺本、慶応3(1867)年制作の洞樹院本、江戸時代末期に制作されたと推測される性源寺本(写真)、江戸時代に制作されたと推測される木版の教安院本がある。


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