田扇

 

(たおうぎ)

【民俗】〈年中行事〉

旧岡崎藩領で江戸時代から続く行事。オウギさん、タオウギさんなどとも呼ばれる。岡崎藩は川西手永、上野(長瀬)手永、額田手永、東山中手永、山方手永、堤通手永という6つの地区に分かれており、田植えが終わるとそれぞれの地区で伊勢神宮から受けてきた御田扇を神輿に納めて巡行し、手永の中の村々を順にまわしていた。田の虫が田扇の風で吹き飛ばされるように願ったものといい、五穀豊穣を祈る虫送りの伝統を受け継ぐとされる。一方、岡崎藩から伊勢神宮祓札の受取りが手永の大庄屋に命じられるとともに、祭りの開始日が指示され、藩の役人が神輿についてまわって作付けの確認をしたともいい、民俗行事に伊勢信仰と岡崎藩の農民支配制度が密接に関わったものといえる。市域では、上郷地区が岡崎市北西部にまたがる上野(長瀬)手永に含まれる。この地区では文化文政の頃、畝部西の阿弥陀堂の大庄屋伊豫田家が神輿を受け継いだことから、以降阿弥陀堂が中心となって田扇の行事を行ってきた(写真)。昭和30年代頃までは、上野手永内の23か村を神輿が渡御し、神社でお籠りをしたのちに隣村に神輿を送っていた。それ以降は規模が縮小し、上野手永の各地区の代表者が阿弥陀堂に集まって神事を行った後、阿弥陀堂地内だけを神輿が巡行するようになっている。神輿の巡行では、神職を先頭に続いて氏子総代が清めの塩を持ち、御幣、梵天、神輿、笠鉾、太鼓、幟をそれぞれ持って行列を作って歩く。笠鉾には扇が吊るされ、笠の中に入ると病気にかからないとされる。〈年中行事〉


『新修豊田市史』関係箇所:16巻656ページ、17巻364ページ