(たかはしむら)
【近代】
明治39(1906)年~昭和31(1956)年の西加茂郡の自治体名。矢作川東岸に位置する。江戸時代の藩政村が合併を繰り返したのちに、明治39年に成立。合併各村の大字を継承した以下の16の大字(平井、岩滝、池田、矢並、古瀬間、南古瀬間、西大見、下渡合、市木、寺部、上野山、渋川、森、御立、飛泉、野見)からなっていた。その後、昭和31年に挙母市に編入され、高橋村は廃止となった。明治17年の地籍帳からのちに高橋村となる各村の土地利用データを総計してみると、田439町、畑403町、宅地68町、山林原野982町であり、同じく明治24年の「徴発物件一覧表」の総計は、戸数1198、人口5280人(うち、男性2587人、女性2693人)であった。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻380ページ