瀧山寺

 

(たきさんじ)

【古代・中世】

三河国額田郡(岡崎市)にある天台宗の寺院。豊田市からみると、矢作川を隔てた対岸の丘陵地帯に位置する。古代からつづく古刹で、平安時代末期には三河国守藤原顕長と軍事的に対峙するほどの勢力を有した。額田郡の領主で熱田大宮司を継いだ藤原氏との関係も深く、その縁故で源頼朝からの庇護もうけている。鎌倉時代の貞応元(1222)年に本堂を修造した際には、足利義氏から三河国内各地の人夫を提供されるなどの援助をうけており、そこから義氏が三河守護となっていたことがわかる。また建長7(1255)年には、義氏の遺骨の一部を納めた法華堂の落慶供養に際して、碧海荘地頭の斯波家氏(義氏の子)から宇祢部(畝部東・畝部西町付近)の地を寄進された。この寺に残された『瀧山寺縁起』は、西三河の古代末期から中世前期の歴史を辿る上での重要資料である。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻189・240・266ページ