(たきわきいせき)
【考古】
足助地区の川面町に所在する弥生時代前期の土器棺墓を検出した遺跡。筈ヶ岳より西側に延びてきた山地の裾で、足助川北岸の標高約350mの緩斜面上に築かれている。遺跡は、昭和40年代の足助町史編さん事業の資料収集時に縄文土器などが採集されたことにより発見された。平成5(1993)・6年、足助町教育委員会より発掘調査が行われ、縄文時代早期・晩期後半の土器や弥生時代前期・中期の土器、須恵器、山茶碗が出土し、弥生前期の土器棺墓が1基発見された。土器棺は条痕系深鉢(写真)を棺身とした横位埋設で、西側に向けられた口縁部には、別個体の深鉢土器片が棺身に張り付けられるようにして配されていた。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻175ページ、19巻366ページ