武田常信(東条国氏)  ?~1476

 

(たけだつねのぶ(とうじょうくにうじ))

【古代・中世】

細川成之の被官で、三河国守護代を務める。東条国氏と同一人と考えられている。宝徳2(1450)年8月22日、幕府から三河国岩堀郷内屋敷分・窪村を進士九郎左衛門尉に引き渡すことを命じられた三河守護細川成之は、それを執行するよう守護代の武田常信に指示している。寛正6(1465)年7月8日にも、成之は三河国財賀寺領の諸役の催促をとどめるよう、武田常信に命じている。応仁・文明の乱で常信は細川成之とともに東軍方となった。文明8(1476)年9月12日、武田常信は三河国で切腹したことが京都に伝えられており、おそらく西軍の一色方に攻められたためと見なされている。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻397ページ