打製石斧

 

(だせいせきふ)

【考古】

打製石斧は、平面形が短冊形あるいは撥形を呈した土掘り具と考えられる石器。多くが長さ10cmを超える大型石斧で、後期旧石器時代~弥生時代中期にかけて作られた。土中の根菜類や球根類を掘り起こすために、木製の柄の先に取り付けて鍬や鋤のようにして用いられたと考えられている。竪穴建物や土坑・落とし穴などを掘削する際にも用いられたとみられる。土を耕り起す際に刃部の外面側に付いた摩滅痕や削痕が顕著に残っているものが多い。着柄部にも摩滅痕がみられるものがある。市域では旭地区牛地町の万場垣内遺跡第2地点から縄文時代前期後半のものが発見されている。稲武地区や旭地区などの中部高地に近い山間部の中期後半以降の遺跡からはまとまって出土しており、後期以降になると市域全域の遺跡から多量に出土する事例が認められるようになる。市域出土の打製石斧では、石材として長野県根羽村付近に岩脈があり矢作川上・中流域の河原でも転石が認められる通称「遺跡石」とも呼ばれる根羽石(写真:足助地区木用遺跡出土)や、北設楽郡設楽町の豊川上流域の河原で採取される安山岩(設楽安山岩)が用いられている。


『新修豊田市史』関係箇所:1巻108ページ、18巻194・510ページ

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