田振役所 

 

(たぶりやくしょ)

【近世】

旗本鈴木家が知行所支配のために田振村(足助地区)においた役所。元和元(1615)年に則定役所鈴木重次の長男重三が田振・四ツ松・実栗村(いずれも足助地区)に200石の知行を得た。重三は父重次の跡を継がずに出家を望んだため、三宅荘兵衛の子重長が養子となり、重三の知行を継いだ。重三は出家し、鈴木正三を名乗る。重長は寛永6(1629)年と同10年に上総・下総両国(千葉県)で250石の加増を受けた。その後、正当が跡を継ぎ、元禄11(1698)年に三河国の知行所が上総・下総両国に村替えとなり、役所も廃止となった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻50・72ページ