(だんかそしき)
【民俗】〈信仰〉
寺院に先祖の供養を依頼する代わりに寺院を経済的に支え、維持管理に協力する関係を檀家(檀那)と呼び、組織化されて寺院運営に不可欠なものとなってきた。檀家の代表である檀家総代、法会や法要の準備や世話をする寺係(寺役・寺方・寺世話など)、清掃やお供えを持ち回りで行う当番などさまざまな役職や役割がある。通例、檀家総代などの役職は数年の任期で複数名が改選されるが、寺によっては檀家総代を特権的な役割として特定の家が代々受け継いだり、寺の創建に尽力した家を「永代のカイキさん(開基さん)」として固定の檀家総代としたりしているところもある。また、ムラの名士とされる人や総代の仕事を熟知している人が、定められた任期を大幅に超えたり、亡くなるまで続けたりすることもあった。一方で、檀家総代も寺係も自治組織の一つのように、各ムラ組から偏りなく選出されるところもあった。市場(小原地区)の広圓寺(曹洞宗)では、上組・中組・伊豆ヶ平組の3つのムラ組の各組から1人ずつ檀家総代と世話役が選出された。上野(高橋地区)の明勝寺(真宗大谷派)は、上野のみならず、同じ高橋地区の寺部や池田のほか、他地区である石野や樹木などにも檀家を有していたため、各ムラやマチから1人ずつ檀家を選出するようにしていた。檀家総代などの役職者以外にも、寺院の運営や諸行事に際して檀家がトリモチをしたり、雑務を手伝ったりすることがあった。主に行事前の寺の清掃や仏具磨き、法要の折の食事当番などである。黒田(稲武地区)の正寿寺(曹洞宗)では、黒田・小田木(稲武地区)と連谷(足助地区)の10組ほどで、初午の餅作りと施餓鬼会のうどん作りの役を当番で回してきた。全戸が東萩平(旭地区)の三玄寺(臨済宗)の檀家であった閑羅瀬(旭地区)では、年4回の大法会前に、男性信徒は主に境内の草刈り、女性信徒は本堂の障子の張り替えや炊事場での手伝いをした。〈信仰〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻763ページ、16巻701ページ