地区コミュニティ会議 

 

(ちくコミュニティかいぎ)

【現代】

自治区が成立して4年後の昭和53(1978)年に、11の中学校区を対象に地区コミュニティ会議が設置された。運営は地区公民館が担うことになった。平成の終わりまでに28の地区コミュニティ会議が誕生している。すでに機能していた自治区より広いエリアであえて地区コミュニティ会議を設けた理由は、地域の団体間の連絡調整や情報交換の場が求められたからであった。混住化の進む豊田市の特性に基づいた対応であったが、当初コミュニティという言葉は市民にはなじみにくかった。豊田市の自治の特色は、主体的な市民活動を行政が手厚い補助金で支援するという構図にある。昭和56年度にはコミュニティ関連事業への補助金がコミュニティ事業補助金として集約され、補助額が大幅に増額され、各地区コミュニティ会議の予算は170~200万円に増大した。

『新修豊田市史』関係箇所:5巻382ページ、14巻219・235ページ

→ 混住化地域会議