(ちせきちょう)
【近代】
地籍帳、地籍図(縮尺1200分1)は愛知県が明治17(1884)年3月17日に、県内の郡区役所、戸籍役場に命じ作成された。地籍編さんの目的は、境界を正し、面積未定の土地を測量、地種名称を区分することであった。現在、愛知県内のほぼ全域をカバーする地籍帳(約2400冊)、地籍図(約2200枚)が愛知県公文書館(愛知県自治センター7・8階)に保存されており、閲覧、複写が可能となっている。地籍帳の内容は、町村ごとに、まず官有地と民有地が大別されており、それぞれに小字、地番、地目別の面積、地価および筆数が記されている。さらに主として田、畑の内訳として「雑木林」「草地」「冷泉場」など、外訳として「畦畔」が記載されている。豊田市内で当時の340村別土地利用の分布状況をみると、田、畑、山林原野、建物、非可耕地のいずれにおいても南西部の平野地域とその他の山地、丘陵地域という自然地形に依っていることがよくわかる。非可耕地とは河川や道路面積を主としているので、その率が高くなっているのは東北から南西に延びる矢作川と巴川添いであることもわかる。上記大分類5項目の、面積(率)の全村平均値は、水田面積207反(15.9%)、畑地面積123反(9.3%)、山林原野面積941反(58.1%)、建物面積27反(2.2%)、非可耕地面積174反(14.3%)である。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻2・172ページ、12巻770ページ