中央線(官設鉄道)

 

(ちゅうおうせん(かんせつてつどう))

【近代】

明治25(1892)年6月成立の鉄道敷設法で予定鉄道線に定められた官設鉄道。同法では、神奈川県八王子もしくは静岡県御殿場から長野県諏訪を経て名古屋へ至ると明記されていた。起点が複数あることからもうかがえるように、中央線は複数の予定経路(比較線)を有しており、その西半分である諏訪-名古屋にかけては、下伊那郡飯田町など伊那谷を通る伊那線と、西筑摩郡(木曽谷)を通る西筑摩線に大別される。さらに両線にも複数の比較線が存在しており、市域を通過するのは伊那線のうち三河線(飯田-北設楽-東西加茂-名古屋)であった。比較線を有するがゆえに、沿線予定の各地は活発な誘致運動を展開しており、多くの関連文書が今日に残されている。三河線を主張する北設楽および東西加茂郡関係者は、工費節約や経済的利益での利点や第三師団豊橋営所への輸送に資することを強調。路線選定に際して鉄道庁が鉄道技師による実測を行った際には、一行への接待も展開した。しかし、三河線など伊那線は工費上の理由から西筑摩線に敗れ、明治27年5月の帝国議会にて、八王子から西筑摩線のうち高蔵寺を経て名古屋に至る路線の敷設が決定された。のち、明治33年の多治見-名古屋開業、同39年の甲武鉄道(御茶ノ水-八王子)国有化などを経て、同44年に昌平橋-名古屋が全通した。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻140ページ