(ちゅうじょうかげなが)
【古代・中世】
鎌倉時代後期の武士。中条頼平の子。鎌倉時代の中条氏は、家長以来、高橋荘地頭と尾張守護を継承したと考えられており、景長もこの両職を兼ねていたであろう。しかし、尾張守護は、おそらく彼の代に北条氏一門の名越氏に譲ることとなったらしい。『尊卑分脈』は彼を「関東奉行評定衆」と記すが、実際には鎌倉で幕府の要職に就くことなく、猿投社に荘内各地からの所当米を寄進するなど、むしろ高橋荘での足跡を残していくようになった。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻239ページ
中条景長 生没年未詳
(ちゅうじょうかげなが)
【古代・中世】
鎌倉時代後期の武士。中条頼平の子。鎌倉時代の中条氏は、家長以来、高橋荘地頭と尾張守護を継承したと考えられており、景長もこの両職を兼ねていたであろう。しかし、尾張守護は、おそらく彼の代に北条氏一門の名越氏に譲ることとなったらしい。『尊卑分脈』は彼を「関東奉行評定衆」と記すが、実際には鎌倉で幕府の要職に就くことなく、猿投社に荘内各地からの所当米を寄進するなど、むしろ高橋荘での足跡を残していくようになった。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻239ページ