(ちゅうじょうつねちか)
【古代・中世】
三河国高橋荘の武士中条氏の一族。系譜は未詳。長禄3(1459)年5月12日、常周は高橋荘衣郷23か名の年貢の一部を、広慶院御内ゆうしゆそに寄進した。広慶院は日野烏丸家の女性によって継承された寺坊であり、中条氏と日野烏丸家の交流がうかがわれる。文明元(1469)年、常周は猿投社に高橋荘衣郷内馬鍬田の田池を安堵しており、あるいは当時の中条氏の当主か。ただし、他に関連史料は乏しく、詳細は不明である。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻392ページ
中条常周 生没年未詳
(ちゅうじょうつねちか)
【古代・中世】
三河国高橋荘の武士中条氏の一族。系譜は未詳。長禄3(1459)年5月12日、常周は高橋荘衣郷23か名の年貢の一部を、広慶院御内ゆうしゆそに寄進した。広慶院は日野烏丸家の女性によって継承された寺坊であり、中条氏と日野烏丸家の交流がうかがわれる。文明元(1469)年、常周は猿投社に高橋荘衣郷内馬鍬田の田池を安堵しており、あるいは当時の中条氏の当主か。ただし、他に関連史料は乏しく、詳細は不明である。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻392ページ