(ちゅうじょうみつひら)
【古代・中世】
中条詮秀の次男か。3代将軍足利義満の一字を授かり、満平と名乗る。兄満秀は応永19(1412)年10月16日に死去したため、詮秀の家督は満平が継いだとみられる。関連史料が乏しく、応永23年3月30日に猿投社に高橋荘寺部郷太郎丸名内の田畠を寄進した左衛門少尉某は満平であるかと推測されている。また、永享2(1430)年7月25日、満平は6代将軍足利義教の右近衛大将拝賀に御後官人として供奉している。永享4年10月、父詮秀とともに満平も罰せられ、高橋三十六郷を没収されたので、中条氏は一時勢力を弱めた。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻372ページ