中世墓

 

(ちゅうせいぼ)

【考古】

市域の発掘調査で検出された中世墓には、火葬墓と土葬墓がある。火葬墓は、瀬戸窯産の施釉陶器あるいは常滑窯産の壺甕類を蔵骨器に転用して火葬骨を納入したもので、足助地区小町の五倫古墓(写真上)、足助町の平治洞古墓、保見地区東保見町の徳合院古墓などがある。いずれも土地造成などの際に偶然発見されたもので、徳合院古墓で礫の集積が確認された以外は、残念ながら宝篋印塔・五輪塔などの石塔との関係を知ることができる資料は得られていない。また土葬墓としては総計381基の土坑墓が検出された上郷地区渡刈町の水入遺跡(写真下:98DSK241)がある。同遺跡は、古代集落の廃絶後しばらくの空白時期を経て中世墓地へと変貌している。墓壙には方形のものと円形のものがあり、前者は長径1.7m前後の長方形が主体で、中には長径が2.3mのものもみられる。後者では径1m前後のものが多い。墓に山茶碗第6・7型式(13世紀中葉前後)の碗皿類に加え、和鏡や刀子、青磁碗、白磁合子などを副葬したものも認められる。総じて副葬品は方形墓壙の方に多くみられ、階層的に上位者の墓であった可能性が指摘されている。水入遺跡は調査前からすでに耕作地となっていたため、墓塔を伴っていたか否かはわからない。このほかに挙母地区京町の京町遺跡からも中世~近世にかけての土坑墓55基、火葬骨が発見された火葬墓8基が検出され、六文銭として副葬された中国銭や寛永通宝、中世の宝篋印塔や五輪塔の残欠が出土している。火葬施設も検出されており、火葬墓の中には、火葬施設をそのまま墓とした事例もある。

資料提供者「(公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター」

『新修豊田市史』関係箇所:2巻438ページ、20巻50・152・458・501ページ

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