長興寺三十三観音像

 

(ちょうこうじさんじゅうさんかんのんぞう)

【美術・工芸】

中央幅 縦115cm、横58.2cm、左右32幅 縦88.5cm、横41cm、掛幅装、絹本墨画。観音菩薩(観世音菩薩)は、おだやかな容姿とその救済思想から、民間信仰とも混交し、中世以後、人々の篤い信仰を受けた。法華経に、観音は救済すべき対象によって33の姿に変身すると説かれる。長興寺の三十三観音像は、33の観音をそれぞれ1幅あてに描き、33幅対としている。正面を向いて坐す観音像を描くやや大きめの画幅が1点あり、残りのやや小ぶりな画幅の観音像は16幅ずつ右向きと左向きに描かれる。配置する際には、大きめの画幅を中央に、小ぶりな幅を16幅ずつ左右に振り分けて掛けるようになっている。図様はすべて白衣の観音だが、一般に描かれる観音像の図様を総動員したものとなっている。岩に寄りかかるもの、牧谿風のもの、蓮弁にのるもの、月を見る態のものとさまざまなポーズである。また背景描写にも工夫が凝らされ、滝を添えるもの、上方から蔦のかかるものなど、33幅の描き分けに工夫のあとが確認できる。ただし、各図に詳細な観音菩薩名を示す墨書などはみられない。中央幅の上方には、相国寺第28世元容周頌げんようしょうじゅによる応永29(1422)年墨書があり、比丘尼瑞林なる人物がこの三十三観音像のために浄財を寄進したことがわかる。賛者の周頌は長興寺第4世で、京都五山の一つ相国寺に移っている。作者名は記されないが、周頌の相国寺在住時代の賛があることは、この三十三観音が室町水墨画の中心地で生み出されたことを示している。画風はその時代の京都の水墨画壇の特徴をよく備えている。14世紀の末に成立した東福寺系の白衣観音像を継承するもので、衣紋の線は、適切な肥痩・抑揚と速さ、軽快さと流麗さとが印象的である。南北朝時代以来定着してきた観音像の総まとめといった趣がある。県指定文化財。


『新修豊田市史』関係箇所:21巻220ページ

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