(ちょうこうじたいようぜんじぞう)
【美術・工芸】
南北朝時代(1349)、絹本濃彩、縦105.4cm、横54.9cm、県指定文化財。長興寺開山となった臨済宗の僧、太陽義冲を描いた頂相で、画面上部には貞和5(1349)年の年紀のある太陽義冲自筆の賛「環中入妙劫外/游神相号不相/真号不真石牛/吼珊瑚樹月木/馬嘶薝蔔林春/恰々無心現三/昧分身百億/遍諸塵/貞和己丑南呂上休日/前住東福太陽叟書」が付される。肖像は頂相の一般的な形式に則り、法被を掛けた曲彔に坐し、手には竹箆を執る全身像として描かれる。太陽義冲は弘安5(1282)年福岡県に生まれ幼くして出家、三聖寺(京都府)で無為昭元より禅を学んだ。長じて鎌倉へ移り、建長寺、円覚寺で20年にわたり修行した。建武2(1335)年、高橋荘の地頭だった中条秀長に請われ長興寺の開山となったという(長興寺創建の時期については秀長甥の長秀の頃との新説がある)。その後、承天寺(福岡県)、実相寺(西尾市)、普門寺(京都府)、東福寺(京都府)、南禅寺(京都府)などで住職を歴任し、文和元(1352)年、71歳で没した。本図は東福寺住職を辞し、普門寺住職へ再着任していた時期に制作された。
『新修豊田市史』関係箇所:21巻230ページ