(ちょうこうじのぶっきょうかいが)
【美術・工芸】
臨済宗東福寺派の別格寺院である建武2(1335)年創建の長興寺には、鎌倉時代から室町時代にかけての仏教絵画が多数伝存する。禅宗寺院としての法脈を示す絵画としては、長興寺開山の肖像である貞和5(1349)年制作の太陽禅師像、およびその師の肖像である鎌倉時代(14世紀)制作と推測される無為昭元像の2点の頂相が伝存する。このうち前者は長興寺が諸山に列せられた翌年の作、後者は全身像でしかも自讃を伴う無為昭元像としては現存唯一の例である。応永28(1421)年制作の仏涅槃図は、釈迦信仰への回帰傾向の濃厚な禅宗寺院にふさわしい。応永29年制作の水墨による33幅からなる三十三観音、室町時代(15世紀)の仏画としていずれも中国絵画の影響の濃厚な阿弥陀来迎図、水月観音像は、中国文化受容の窓口としての禅宗寺院の傾向をよく物語る。他に妙沢様の不動明王像、多聞天像(毘沙門天・吉祥天・善膩師童子像)がある。
『新修豊田市史』関係箇所:21巻177・216・218・220・228・230・232・234・236ページ
→ 禅宗の絵画、長興寺、長興寺三十三観音像、長興寺釈迦図、長興寺太陽禅師像、長興寺多聞天像、長興寺補陀観音像、長興寺仏涅槃図、長興寺不動明王像、長興寺無為昭元像、頂相、仏涅槃図