(ちょうそんきほんざいさんりん)
【近代】
日露戦争後、地方改良運動を進める政府は戦時増税により疲弊した地方財政を立て直すため、町村が所有する土地・施設・有価証券などを町村基本財産として運用し、その使用料や手数料の収入などを蓄積して町村費支弁の財源とするよう奨励した。中でも山林は、株式などに比べて経済の変動を受けにくく、長期的な経営を必要とするため、町村基本財産の性格に適するとして注目された。東加茂郡では、明治38(1905)年から経営が始まった郡有林を模範とし、足助・盛岡・松平・下山・賀茂・旭・阿摺の各町村が植林に着手し、計500町歩余りが町村基本財産林として育成された。また、御料林の払い下げや貸し下げによって町村基本財産林として活用する動きが活発化し、北設楽郡では鴨山部分林事業が行われた。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻20・467ページ