(ちょうへいいろうかい)
【近代】
徴兵慰労義会ともいう。明治6(1873)年徴兵令が公布され、四民平等の原則に基づいた新たな軍隊組織が作られていった。20歳になると徴兵検査が実施され、それに合格した者は抽選により3年間現役兵として兵営生活を送り、戦争や事変には戦闘に動員されることになった。こうした現役兵は同年代の青年の一部であり、彼らが任期を終えて帰郷したときには、郷里の町村では彼らを優待し、慰労金を与えるなどしてその労に報いた。この帰郷兵を優待するために設立されたのが徴兵慰労会であった。県内では明治17年に宝飯郡などで活動が開始された。県は明治19年から翌20年にかけて、各郡に徴兵慰労会の設立を促し、義捐金の徴収や帰郷者への慰労金の授与、兵士の留守家族への支援に関する規則が定められていった。西加茂郡では19年4月、徴兵優待規約を制定し、入営・退営時の村境での送迎、入営者の家族への援助、戦病死者への義捐金給与などを取り決めた。また東加茂郡では明治10年代末には東加茂郡協同会が組織され、兵役者慰労規則を設けて、明治20年以降郡内各戸から義捐金を徴収し、帰郷した兵士に慰労金を授与するとした。しかし明治23年頃から徴兵慰労会の存廃が議論されるようになり、日清戦争時には新たな軍事後援組織として尚武会が各郡市、町村で設立されることなった。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻212ページ、10巻201ページ
→ 尚武会